6.05.2014

命の重さ

 人にとっての命の重さというのは、自分勝手なものでしかないのだろうか。



 日本ではめっきり報道が少なくなっているが、シリアではいまだ内戦が続いていて、これまでに16万人以上の人が亡くなっている。その他多くの地域でも主義主張を争うテロ行為の中で多くの命が失われている。そして世界では日々4万人以上もの人が飢えで亡くなっている。

 それに対して、あなたはどれほど心を痛めているだろうか。

 ニュースが人の死を伝える。民族紛争で100万人が虐殺されました。自爆テロで30人が亡くなりました。土砂災害で20人の人が亡くなりました。ストーカーの男に1人の女性が殺されました。幼児が虐待され、餓死しました。

 どれも同じ温度差で、一人の人の死を感じただろうか。

 人は身勝手に、命の重ささえも都合よく解釈してしまう。遠ければ遠いほど、一人の命からただの数になっていく。遠くなるほど、数が増えるほど、命に対する感覚は鈍くなっていく。

 "ミミズだって オケラだって アメンボだって"
 "みんな みんな生きているんだ"
 "友だちなんだ"
 そんな歌があった。
 生きとし生けるものが持つ命の重さに、差なんて無いと思ってきた。人の命が軽いとかではなく、人だけを特別視する考え方に違和感があるという意味で。
 人を特別視する多くの宗教観からすればおかしな感覚かもしれないけれど。

 命の重さとは、なんだろうか。
 

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