8.08.2013

紙に書くという行為で育ってきた人たちのエゴ

 LEAP Motionの面白さにかまけてほとんど忘れかけてた「enchantMOON」。
ようやくじっくりと使ってみたのだけれど、Copland計画を打ち出して希望を抱かせ、結果的にユーザを失望の底に沈ませて瀕死となった頃のAppleを思い出してしまった。

高級感を持たせたかったのかもしれないが、重く無骨で野暮ったい。
せめて厚みと薄さが半分以下であれば救われたのにというデキ。

 当初発表を聞いた時には21世紀のNewtonかとも思ったけれど、Newtonと比較する気になれないほど机上のコンセプトと実態の乖離が大きく、製品のレベルには到底達していない代物だ。"たとえ画面が乱れようともペンへのレスポンスを最優先する"。UEIが描き、主張してきたコンセプトと思想は全く実現していないのが目の前にある結果だ。コンセプトと設計がまったくかみ合うこと無く破綻している。

 書くという行為を中心に考えてNo UIを指向した結果生じた、ペン操作とタッチ操作の混在は救い難いほど操作性を低下させ、書き、思考するという行為への集中力を低下させてしまう。たとえペンの軌跡を取りこぼしてないとしても、描画が伴わなければ思考は中断してしまう。現状では、書いたものをすべて描画することが出来ずに文字が欠ける、図形が軌跡通りに表示されないという状態が頻発する。そして何よりも文字認識精度が低い。

そんなにきれいな字じゃないけど...

何度認識させても「clavius」とは認識してくれない

 "解る人には解ってもらえるデバイス"なのかもしれないが、解る人がガッカリしてしまうデバイスになってしまったなというのが正直なところ。これは何をどう改良しても、もはやどうにもならないだろう。改良ではどうにもならないレベルの設計だ。

 ペンで書くことで思考を進めていく。タイピングよりもドローイングのほうが思考するためには有効だ。紙に書くという行為を超え、書くことに検索性を付与し、思考と思考を結びつけて行くことで創造性を高めていく。そう考えて作ったコンセプトは素晴らしい。
 しかし、紙とペンを違和感無く使えるのは、紙に書くという行為で育ってきた故だからだ。本能的なものではない。
 掲げられたコンセプト、そして目の前にあるデバイス。そこから浮かび上がってくるのは、紙に書くという行為で育ってきた人たちのエゴなのかもしれない。

 未来を志向しているように見えて、既に遺物だ。何もかもが古くさい。




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